聖地巡礼は続くよどこまでも、その2
ココです。お久しぶりですーー。
今回イスラエル ティべリアスの観光編。ローマ皇帝ティベリウスにちなんだ都市名だそうで。
まずはナザレからティべリアスまでバスで向かう。それなりに遠いが普通にGoogle mapで案内が出てくるので非常に簡単。
Google mapによるとバス431に乗るだけで着く。
ただバス乗り場だけは何故かGoogle mapと違う場所で分かりづらかった。。
このショッピングセンターのちょうど道路挟んで反対側。
時刻表も何もないのでとりあえずひたすら待った。
431以外のバスが何度も通る一方で、一向に431が来ない。
ほんとうに来るのかなと不安になりつつ、人に聞くが全然英語喋れない。
やっぱり待つしかない。
結局1時間くらい待ってようやくバスが到着。
バスに乗りあたりを見渡すと、緑が多いことに気づく。
南のエイラトからテルアビブ近辺までずっと砂漠だったのに。やはり元々はこのあたりは肥沃な土地なのか。
数時間ほどしてティベリアスに到着。
とあるユースホステルのドミトリーに宿泊。1泊2人で4千円。物価で考えると安かった。
ドミトリー同室のカナダ人と夜はドミトリーのバーでビールを飲んだ。彼はイスラエルが好きじゃないと言っていた。
翌日、聖地巡礼スタート。
ホステルで地図のコピーがもらえた。
市バスに乗ってまずはMt. Beatitudesを目指すよ。
こんなバス停で降りていいのかちょっと不安だけど、ホテルの人に教えてもらったので大丈夫だろう。ここから全部歩いて巡礼。サクサクと歩く。
<<the Beatitudes Church 山上の垂訓教会>>
山上の垂訓とはイエスが山の上で弟子たちにした説教のこと。
「心の貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」
あとで調べると、マタイによる福音書5:3の一節だった。心の貧しい人ってどういうことかなと考える。精神的に苦しんでいる人かな。解釈が難しいらしい。
他にも山上でしていたと言われる教えの一節がこのように通路に並べられていた。
それから次の場所へも長い道のり。
Tabgha churchまで歩く。
一瞬ここかと思って喜んでいたらまだまだ先だった。これ宿泊施設かなんかだったわ。ああ歩くのしんどーーー!
サソリもお疲れな様子。
何時間か頑張って歩いた。
<<Church of Multiplication of the Loaves and the Fishes パンと魚の奇跡の教会>>
イエスがここで5千人もの人々をパンと魚で満腹にしたという。
めちゃ人気。
イエスがたった2匹の魚と5つのパンで5千人もの人を養ったという奇跡があったとされるが、物理的に量を増やしたのか、またはパンや魚を通してありがたい言葉で5千人の心を満たしたのかは詳しくないのでわからない。
洗礼の儀式の物
<<St Peter’s primacy Church
聖ペテロ首位権教会>>
復活したイエスが弟子たちの魚やパンなどの朝食を用意していたとされる場所
主のテーブル
その後イエスがペテロに3度 『私を愛しているか』と『私の羊を飼いなさい』と言ったエピソードの場所。イエスが捕まえられた時、3度イエスの事、を『知らない』と言い裏切ったペテロに3度の確認をして許し、さらに首位を授けた。
羊とは民衆のことで、私を愛しているなら人々を愛せという事じゃないかとどこかで読んだような気がする。
魚とクロスのモザイク
<<Lake of Tiberias ティベリアス湖、またの名をガリラヤ湖、そのまたの名をゲネサレト湖>>
魚がたくさんいた。ここにいるというティラピアはペトロの魚と呼ばれているのだそう。魚はキリスト教と深い関わりがあるし、シンボルでもある。
湖の上は歩けない!
福音書によるとペトロと弟アンデレがここで漁師をしていた。イエスが「魚より人間をとる漁師にしよう」的な事を言って声をかけて二人が最初の弟子になったという。他にもイエスがこの湖の上を歩いたり嵐を鎮めたり、とにかくこの湖周辺でイエスの奇跡が行われていたようだ。
聖書の舞台、聖人たちの見た景色!!と思うと面白いなー。何で私がここに居るんだろうって不思議に思う。
聖猫ニャーンもいたよ!
<<Capharnaum; The Town of Jesus>>
ペトロの像。イエスから授かった天の国の鍵と羊飼いの杖を持っている。あと魚も下に居る。
またまた聖猫ニャーンがのんびり!
なんかすごく新しい。
建物の下に本物の遺跡があった。ペトロの家。
シナゴークの遺跡。
ホームレスのように見える人のモニュメント。説明は無かったが、足の甲をよく見てみるとイエスが磔刑の際に釘で打たれた時に出来た聖痕と呼ばれる傷穴のような物があった。これはイエスなのか?と考えていると隣に居た巡礼に来ていた人が
「もしかするとあなたが見た貧しい人はイエスかもしれないよ。見た目で判断してはいけないよ。というメッセージかもね。知らんけど。」と言っていた。
どんな人にも手を差し伸べて慈悲の心をという事?
ヨーロッパではよく物乞いの人にお金をあげる人を見たな。もちろんたまたま根っからの優しい人かもしれないが、キリスト教は彼らのルーツとして無関係ではない気がする。歴史を知るのにも今の人々を知るのにも宗教を知るのって重要だなと感じた。
危険かも知れないという理由で、旅に出てからはついつい見た目で人を避けてしまったりしがちな私達だったけど、出来ることなら困っている人を助けてあげれたらいいな。
いや、やっぱり危なそうなら逃げよう。
帰りのバスも全然来なかったので3時間ぐらい待った。
待ち時間多くてクタクタだー。
ココでした( ◠‿◠ )
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