集団自殺?アルカディ修道院からの、一期一会ド田舎巡り

集団自殺?アルカディ修道院からの、一期一会ド田舎巡り

こんにちは、テンです。

 

本日は、クレタ島のレティムノという街を拠点にアルカディ修道院と秘境的ビーチを探す旅に出ます。

原付バイクをレンタルしていざ出発です。

 

尚本日最初に出会ったのは、、

屋根の上で日光浴するイッヌでした。

どうやって登ったんやろか。

 

 

 

 

自転車で走る人発見。

 

実は世界一周の旅は、最初は自転車で世界一周しようとか言っていたのです。

でも自転車だと計算してみたところ3年じゃ足りない、足りても見たいところ全然見れないと諦めました。

その代わりに実現するか分からないですが、中南米はバイクで制覇したいなと思ってます。

自転車は無理でもバイクなら。。。

あの革命家チェゲバラは若き日にバイクで中南米を旅し、革命の精神を養ったのです。

興味がある人は詳しくは映画、モーターサイクルダイアリーズを見てください。

 

 

 

確か1時間くらいだったと思います、<<アルカディ修道院>>に到着しました。

アルカディ修道院はキリスト教の教会で、格別に古いとか大きいとかそういうことはないのです。

では何故観光客が訪れるのかというと、クレタ蜂起(1860年代のオスマン帝国の占領に対してクレタの人々が反旗を翻したもの)の中心地(戦略上の拠点)となったこと、その際に集団自殺が起こったからです。

 

アルカディ修道院の外壁。

この壁の中全てが教会というわけではなく、修道僧の部屋、食堂、キッチン、倉庫などこの中で何人もの人々が暮らせるような施設となっています。

 

ここが入り口。

この入り口を抜けると、教会機能として最も重要な、教会そのものが目の前に現れます。

 

 

最初の教会は13世紀に建てられ、改築される形で今の形になったのだとか。二つのお山がある天井が特徴らしいです。

中は写真禁止になっていますが、気づかず何枚か撮ってしまいました。

一応禁止のところなので写真アップするのはここではやめておきますが、木版に書かれたキリストの絵が、長い年月を経た後でも今でも飾られているのが印象的でした。

木版は腐食しやすいので丁寧に保管されているのことが多いので。

 

 

 

教会の側にある枯れた木。

この木に白い矢印があるのが見えますか?

クレタ蜂起の際のオスマン軍の攻撃の跡(銃跡)が残っているのです。

 

 

弾が食い込んでるのがわかりますかね。

 

 

 

外壁は様々な部屋があり、こちらは食堂として使われていたとか。

この猫には何が見えているのでしょうか。

 

 

倉庫。

 

 

 

修道士の部屋だった場所。クレタ蜂起の際は病室になっていたとか。

 

 

中は狭く、天井が低い。人一人でも生活するにはきつそう。

 

部屋から出たら猫が喧嘩してました。人と人との戦場だった場所が猫と猫の戦場に。

右下でうずくまってる猫が負けた側。逃げ出したのですが、執拗に追いかけ回されていました。

 

 

そしてここがメイン観光?スポット。追い込まれた婦女子や老人が大量に集団自殺をしたところ。

もともと火薬庫だったようで、それに火をつけて爆発させたとのこと。

天井が吹っ飛んだのでしょう、ここだけ屋根が綺麗にありません。

 

自殺前の様子。

 

自殺直前、すでにオスマン軍はこの部屋を取り囲んでいました。オスマン軍に取っ捕まるとそれは酷い仕打ちを受ける、そうなるくらいなら名誉ある死を、と言うことで自殺を選んだんだとか。

この爆発により中にいたギリシャ人のみならず、大量のオスマン軍も巻き添えで死んでいったのだとか。一説によるとこの爆発ではギリシャ人より巻き添え食ったオスマン軍の方が数は多かったとか。

英語の説明ではこの集団自殺の事件を「ホロコースト」と表現されていました。

ナチスがユダヤ人を大量に虐殺したとされる出来事を一般にホロコーストと呼んでいますが、そのホロコーストがここでも使われていました。

僕はちょっとだけその表現に違和感を感じた。

彼らは自ら死を選んだのであって、決して虐殺されたわけじゃない。

捕まると死をも上回る仕打ちを受ける、それが本当かどうかわかりませんが、仮にそれが真実だったとしても、他殺と自殺は決定的に違うものと感じてしまう。

そして何より彼らは自殺と同時にオスマン軍を巻き添えにしている。大爆発を起こせば確実に巻き添えが出るのは分かりきっているはずなので、これはある意味で確信犯的なものだと思う。

ネット上にあるいくつかの記事で、この事件を日本のヒメユリの塔に例えているのを見かけたのですが、ヒメユリの塔で自殺した人はアメリカ兵を巻き添えにはしていない(はず)。

例えるなら、この事件はホロコーストでもヒメユリでもなく、自殺テロとまでは言わないが、どっちかというと桜花爆弾に近い印象を受けた。

この事件によりヨーロッパの世論は一気にギリシャよりになったとか。ヨーロッパ諸国は自らのルーツをギリシャに見出すことも多く、イスラムであるオスマン帝国よりはギリシャよりなことは明らか。

今ではこの地はギリシャなので、ホロコーストという書き方をしていますが、もしこの土地が今だにオスマン(トルコ)のままだったら、もしくは今の世界の覇権がヨーロッパではなくイスラムであったら、ひょっとしたらホロコーストでもなく、集団自殺でもなく、自爆テロに近いような説明書きがなされているかもしれないなと個人的に感じた。

断りを入れておきますが、僕はギリシャでもトルコでもどちらの味方でもなく、偏見もありませんし、詳しい歴史背景も知らないです。この事件は事実関係とは関係なく悲劇的な出来事だと悲しく思いますし、起こるべきじゃなかった事件だと思います。

あくまで僕がここで見聞きした情報の範囲で、それが真実かどうかは置いておいて、率直に感じた僕の印象を書いただけです。

 

そういう重い話は終わりにして、この修道院は別の楽しみ方もあります。

それは綺麗な中庭を探索すること。

外壁の上に登れば綺麗な中庭を一望できます。

教会の裏はバラ園になっています。

ちょうどバラが綺麗に咲いているシーズンでした。

 

 

 

ブドウの葉の下の木陰では、絵を描いている人たちがいました。

 

 

猫も同じくブドウの下でお休みです。

 

 

ここは博物館も併設されていてアルカディ修道院から見つかったものが飾られています。

天使ミカエル。いっつも誰かを踏みつけているのですぐ分かる。

 

 

ちょっとこの写真からは確認難しいですが、キリストやマリアの顔がナイフのようなもので斬られて傷がついています。

オスマン軍により付けられたのだとか。

 

 

集団自殺をした場所の瓦礫から見つかった女性の髪の毛。

可哀想なのですが、ちょっと気持ち悪いと思ってしまった。

 

 

 

最後に、この修道院の一番の見所をお見せしましょう。

コンクリートに残された猫の足跡。

ぜひ見つけてください。

 

 

修道院の出口で犬が寝ていました。

暑いときの石の床って本当に気持ちいいんでしょうね。

 

 

 

アルカディ修道院から出てちょうどバイクに乗ろうとしているときに、1人のギリシャ人女性に声をかけられ、パンフレットをもらいました。

何なのかと聞くと、このアルカディア修道院からすぐ近くの村についてで、村のPRをしているのだとか。

村の名前はスロノス(Thronos)。

場所はここ。

見ての通りクレタ島のちょうどど真ん中あたりにあり、アルカディ修道院から南にまっすぐに降りていくところにあります。

クレタの観光客の99%は海目当てでやってくるので、何にもしなければ観光客は全くと言っていいほどに来ないんでしょうね。頑張って村興しをしようとしているんだろうな。

この後南下して海に行く予定だったのと、昼食を取る必要があったので、是非行くよと言っておばさんにさよならしました。

 

山道を走ります。

 

10分程度でスロノス村に到着しました。

あまりに小さい村で、この写真の写ってる場所x3倍くらいの広さで終了です。

多分村民30人もいないんじゃないかなと思います。

 

 

パンフレットに載っていた、おそらくスロノス村で唯一のタベルナ(レストラン)に直行します。

 

Aravanesという名前で、看板を見ると毎週木曜日には伝統的な方法でのパン作りが体験できるようです。

他にもオリーブオイルと灰を使って服を洗ったりする方法も教えてくれるようです。どうやるんでしょうね、ギットギトになりそう。

 

 

 

中に入ると猫がお出迎えしてくれます。

 

 

この村の名物が壮大な山の景色。

このレストランのテラス席では食事と共にその景色も一緒に楽しめます。

 

こんな田舎なのに僕らの他に数組の客がいました。彼らも僕らと同じようにパンフレットもらってやって来たのでしょうか。

 

トマトのライス詰め、スブラキ、そしてアーティチョークのピクロスをオーダー。

前者二つは安定のお味でとても美味しくいただきました。

アーティチョークはここの伝統的料理で一応食べておくかという感じでオーダーしたのですが、酸っぱくて何とも他に例えようのない味でした。

 

 

お腹いっぱいになったところで、おそらくこの村唯一の観光スポットである教会に行きました。

<<The Church of the Assumption>>

この右側の方ですよ。左側はカフェです。紛らわしいわw

最初の教会は6世紀に建てられ、その後同じ場所に新たに修復され建て直され今の形になったのが14世紀という、クレタでは最も古い教会の一つ。

 

入ろうと思ったのですが、ドアが開かない。何と鍵がかかっているようです。

おお、、、唯一の観光スポット、、見れず。。。。

これじゃあ村興しできないぞ。。。

 

 

諦めて帰ろうと思ったその時、上の写真で写っているカフェからおばあちゃんが鍵を持って出てきました。

どうやらカフェ兼教会の管理者らしく、教会を見たいときはこのおばあちゃんに声をかける必要があります。

 

小さいながら中にはビザンチン時代の絵がおそらく当時からそのまま同じように飾られていて、古いにも関わらず色彩もはっきりしていて綺麗だった。

街の大きい教会と違って、おそらく有名な巨匠には頼めなかったのかな、若干絵が下手くそだったw

残念ながら中は撮影禁止なので、説明書きに載っていた絵を載せますね。

 

 

外のモザイク画の床はまだ健在です。

 

おばあちゃんにカフェに入ってコーヒーでも飲みなさいと営業かけられたのですが、さっき昼食の時に飲んだばかりで流石に飲めず断ったのですが、僕らの為に鍵を開けてくれたということからちょっと罪悪感。。。

鍵の管理者がカフェ経営とかやめてほしいお。。

 

村を出る時、猫が見送りに来てくれました。

 

Throne村、普通に旅行をしていたら絶対訪れることなかっただろうな。

こういう人に限らず場所的なものも含めての一期一会的な出会い、ぶらりと寄っただけだけど、何だか旅してるなぁと感じた。

料理も美味しい、景色も綺麗、歴史的な教会、そして猫。小さいながらに楽しい村でした。

 

ここから秘境ビーチに向かうのですが、それは次のブログにてお送りします。

続く。

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